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物凄い勢いで物凄い雑談するスレ物凄い589

698 :タキノ13 ◆MMMMMM. :2005/02/03(木) 20:18 ID:???
節分の始まり

江戸時代初期、酷い飢饉に襲われた山村があった。
もしものときのためにと食料の備蓄はしてあったが、
それでも村民の総人口の半数分の備蓄しかなかった。
この備蓄を村民全部で分け合えば、誰一人として次の収穫期まで生き延びられないだろう。
だからといって同じ村民同士で殺し合いをさせる事などできない。

考えに考えた末、村長はある決断をした。
残り少ない備蓄の中から大きな太巻きを作り、それを全ての村民に配った。
あと、春に蒔く豆を大量に村人に配り、飢えていた村人達は大喜びした。
そして村長は村人達にこう行った。
「太巻きは一人で全て食べきること。赤子だろうが病人だろうが必ず食べきること。
そして食べている間は決して声を発してはいけない。今年の吉方である西南西から目を逸らしてはいけない。
豆は自分の年齢と同じ数だけ必ず食べること。五歳の赤子であれば五個、二十歳の若者だったら二十個を
必ず食べきること。もしも太巻き、豆を食べきれなかったり、声を発してしまったり、目をそむけてしまった場合は斬り殺す。」

村人達は「?」と思ったが、久々の食べ物に夢中だったので大して気にも留めなかった。
そして村長の合図と同時に太巻きを食べ始めた。
大人は悠々と食べているが、小さな子供や赤子はなかなか食べることが出来ない。
そういう者達には村長の手下が付き添い、むりやり太巻きを口にねじ込む。
口を太巻きで塞がれているので、呻き声もあげることができずに窒息して死ぬのである。
泣いたりわめいたりする子供もいるが、「声を発してしまったら斬殺」の決まりごとにのっとって殺されていく。
しかし母親達も目を西南西から背けたら斬られてしまうので、我が子がどうなっているかも知ることは出来なかった。

それに引き続き、豆を年齢分食べさせられる。
太巻きから生き残った子供たちはなんなく食べることが出来るが、60、70歳にもなる老人達は
数十個もの豆を食べなくてはならないのである。
無理やり食べさせられた老人の多くが、豆が気管に入って死んでしまった。
または食べられなかったので殺されてしまった。

こうして村民の数は見事に半分となった。
しかも子供、老人、病人等の非生産民のみをきれいに取り除くことに成功したのである。

生き残った者たちはこの出来事を
「生きるものと殺されるものを分ける儀式」 それを略して「殺分」と呼ぶようになった。
長い月日が流れ、殺分(さつぶん)は、言葉が訛ってせつぶん(節分)と呼ばれるようになったのである。

                       全日本瀧野百貨辞典 第26巻687ページ「黒歴史」より

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