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物凄い勢いで雑談するスレ338Mhz

453 :伯爵:2004/02/27(金) 01:11 ID:???
 まだ暗い朝。ホテルの前の生垣に当る明かりが、その姿をくっきりと浮き彫
りにしている。街路樹はまだ寒そうに立っている。正面のだだっ広い道路も静
かなもので、ときおりタクシーや大型のトラックが夜の中を通り過ぎていくだ
けだった。ふうう、と口からこぼれ出る空気。欠伸も出ない。
「よし、異常なし」
 従業員入り口に続く鉄門を、ガチャガチャ動かして施錠を確認して、フロン
トアルバイト橘 遥はしんと眠る世界にポツリと宣言した。右手の人差し指と
親指を擦り合わせる。さっきつかんだ鉄の格子は、ぴしりと冷えていたから。
 見上げれば10階建ての我が仕事場、『ホテルエメラルドS橋』の勇姿が、地上
の明かりにかすかに照らされている。シングル、ツイン、ダブルの部屋タイプ、
合計136室。今日は満室だから、あの暗い窓の一つ一つで、まだお客様は夢を見て
いらっしゃるのだなあ。いや、この受験シーズン、お泊りの受験生の中には、試
験会場についたときすっかり目を覚ましておけるよう、かなり早い時間にモーニ
ングコールを頼む方もいらっしゃる。
「でも、今の時間は早すぎるよなあ」
 かえって今なんて起きたら、試験会場で眠くなってしまうんじゃないだろうか。
朝の5時半は、あまり一般的な時間ではない気がする。受験生も大変だなあ。まあ、
もうチェックアウトした人もいるし、世界はそれなりに忙しく回っているのかもし
れない。自分なんかはとても難しい世界だ。なんだかやるせなくなって、ふーっ、
と肩を下げると、ぽろぽろぽろと白い息が零れ出る。いわゆる溜息。
「あれ? 」
 そろそろ戻ろうかとしたとき、そのうちの一室の窓に違和感を感じて、橘はぎ
ょっとした。モップの先? そんな物がちらりと窓の一つに見えた気がしたのだ。
ちらりと眼のはしをよぎっただけだから、気のせいかもしれない。現にもう一度
眼を皿のようにして見上げても何も眼には映ってこなかった。
 気のせいか。
 視線を返すと、橘はぽっぽと息を吐きながら、自動ドアに向かって小走りに駆
けてみる。ほんの5メートルほどの距離なのだが、駆けてみずにはいられない。
 ぶーん、ぶーんと二枚の自動ドアをくぐって、フロントラウンジに立った遥は、
ぶるぶるっと震えて、またふうう、と息をついた。今度は溜息ではない、それだ
け寒かったのだ。
 接客用の大きなフロントテーブルに、壁際に広がる鍵の抜き取られたキーボッ
クス。控え室に仮眠から戻ってきたアルバイトが一人いるものの、人の気配なん
てしない空っぽのフロント。振り返れば自動ドアの向こうでは、まだ夜が満ちて
いる。
 冬が横たわっている。

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